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白川郷・五箇山の合掌造り集落



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白川郷・五箇山の合掌造り集落 (岐阜県、富山県)


名称 …… 白川郷・五箇山の合掌造り集落
所在地 …… 岐阜県、富山県
登録年月 …… 1995年12月

白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 白川郷・五箇山の合掌造り集落(しらかわごう・ごかやまのがっしょうづくりしゅうらく)は、飛騨地方の白川郷(岐阜県大野郡白川村)・五箇山(富山県南砺市)にある合掌造りの集落で、1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 概要

合掌造りは、江戸時代から始められた蚕産のため、屋根裏に棚を設置したのが始まりといわれている。豪雪による雪下ろしの作業軽減と屋根裏の床面積拡大のため、急な角度を持つユニークな茅葺屋根になったと考えられている。又、屋根はどの家屋も東西を向いている。これは屋根に満遍なく日が当たるようにするため、集落が南北に細長い谷にあり、南北それぞれの方向から強い風が吹くので、風を受ける面積を少なくするためといわれている。

合掌造りを守る地域住民の連携形式の結(ゆい)により、補修や茅葺の葺き替えが行われている。

白川郷・五箇山の集落地帯は、有数の豪雪地帯のため、周囲との交通路整備が遅れた。このため、奇跡的に合掌造りの住居構造が残った。しかし、過疎化・住民の高齢化により、結の活動による、合掌造りの維持活動も限界となっている。

世界遺産登録後、急激に観光客が増加。近くを走る高速道路(東海北陸自動車道)の全面開通も2007年度に迫っており、地域社会の生活と観光地化の狭間で、様々な問題も発生している。



白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 合掌造り

合掌造り(がっしょうづくり)は、日本の豪雪地帯に見ることのできる住宅建築様式。

合掌造りは、茅葺(かやぶき)の角度の急な切妻屋根が大きな特徴となっている。屋根の形が合掌した時の手の形に似ているところから、合掌造りと言われるようになったと伝わっている。
合掌造りの小屋組は、白川郷や五箇山のものが有名になっているが、本来は日本の民家に広く見られた構造である。茅葺きの屋根では、雨仕舞いのために急傾斜の屋根にする必要があり、合掌造が有利である。また、豪雪地帯の積雪時の屋根荷重を支えるのにも都合がよい。

白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 書院造や数寄屋造りなど上層の住宅で使われる小屋組(和小屋)と比べ、構造に大きな違いがある。すなわち、和小屋が棟木や母屋を下から鉛直方向に支えるのに対し、合掌造りでは両側から『人』の字形に寄りかかった部材が棟木の点で交差する形状となっている。これは一般に扠首(さす)構造と呼ばれ、トラス構造であり、梁材に与える曲げモーメントを低減し、引張力に集中させるという点で、木材の性質上、優れた構造である。

合掌造り民家の3階の様子合掌造りにすることで屋根裏に小屋束のない広い空間が生まれる。江戸時代中期頃、養蚕業が活発化すると、この空間を利用し、農家の住居の屋根裏で養蚕の棚を設置するようになった。もともと構造上勾配の小さな屋根は作りにくい合掌造りであるが、3層・4層という具合に養蚕棚の空間を大きく取るために、屋根がさらに高く切り立ったと考えられている。



白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 茅葺屋根の葺き替えは、30年から40年に一度行われる。また雪が屋根から落ちるときに、茅も一緒に落ちてしまうことがある。このための補修作業は年に1・2度必要となる。茅葺屋根の葺き替えや補修作業では、地域住民の働力提供による共同作業で行われる。この仕組みを結(ゆい)と呼んでいる。
特に、白川郷・五箇山の集落にある合掌造り建築群は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 白川郷

白川郷(しらかわごう)は岐阜県(飛騨国)内の庄川流域の呼称である。大野郡白川村および旧荘川村(現高山市荘川町)に相当し、前者を下白川郷、後者を上白川郷と呼ぶ。今日では白川村のみを指すことが多い。


白川郷は合掌造り集落で知られる。五箇山と主に独特の景観をなす集落が評価され、白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。世界遺産白川郷合掌造り保存財団などがその保存にあたる。

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五箇山

五箇山(ごかやま)は富山県の南西端にある南砺市の旧平村、上平村、利賀村を合わせた地域を指す。

白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 地名の由来
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので五箇谷間、これが転じ五箇山の地名となった。この名称が、文献に出てくるのはのは約500年前、本願寺住職第9世光兼実如上人の文書が初めである。これ以前、荘園時代は坂本保・坂南保・坂上保・坂下保・坂北保の5つの領に区別し「五箇荘」とも呼んだ。


白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 歴史
平家の落人が住み着いたと伝えられている。1183年、富山県と石川県の県境倶利伽羅峠で、木曽義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦った(倶利伽羅峠の戦い)。木曽義仲は、この時火牛の戦法で平家に大勝した。その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされるが、物的証拠はないが一部五箇山の民家の家紋として残っているとされている。戦国時代から江戸時代には、塩硝(煙硝)製造の歴史がある。石山合戦(1570年〜1580年)の織田勢との戦いにも五箇山の塩硝が使われた。また、黒色火薬自体を製造していたとされる。日本古来からは、古民家の囲炉裏下には自然と塩硝は製造されていたのだが、五箇山では、自然の草(ヨモギ・しし独活・麻殻・稗殻など)と蚕の糞などで製造する「培養法」を使ってより多くの塩硝を製造した。


白川郷・五箇山の合掌造り集落 世界文化遺産・日本 16世紀後半には前田家が加賀一帯を統治し、一向一揆が沈静化したころより加賀藩に召し上げとして買い付けられる。17世紀前半である。加賀藩は、外様大名として100万石の経済力をもち江戸幕府の8分の1の力を持っていたので御取潰しの危機にあったが、裏では五箇山での火薬の原料を調達していたのである。この塩硝も、日本が鎖国を解いてから南米チリからの硝石輸入によって廃れてしまう。 江戸時代には、加賀藩の流刑地とされ、加賀騒動の大槻伝蔵もこの地へ流された。


地域の特色

この地域は世界的にみても有数の豪雪地帯であり、そのような風土から傾斜の急な大きな屋根を持つ合掌造りの家屋が生まれた。現在も平村の相倉地区や上平村の菅沼地区には合掌造りの集落が残っており、隣接する岐阜県白川村の白川郷とともに「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録されている。
また、民謡「こきりこ節」の地としても知られる。


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白川郷、五箇山の合掌造り集落(前編)





白川郷、五箇山の合掌造り集落(後編)





世界遺産 白川郷・五箇山の合掌造り こきりこ踊り





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