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平泉



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平泉 (岩手県)


平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本
名称 …… 平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
所在地 …… 岩手県
登録年月 …… 2011年6月

平泉町(ひらいずみちょう)は、岩手県南西部に位置する町。


平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 概要

平安時代末期に奥州藤原氏の本拠地となった町として有名である。奥州藤原氏の時代には平安京に次ぐ大都市として栄えた。現在でも、中尊寺や毛越寺などの遺跡から、当時の繁栄を偲ぶことができる。


平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 歴史

衣川と磐井川に挟まれた比較的開けた丘陵地帯にあり、またすぐ東を北上川が流れているために、水運にも優れた地域である。奈良時代から平安時代にかけて、ここの支配権をめぐって各勢力がしばしば激しく争った。

古代期から、平泉は軍事の要衝地帯として重要視されていた。8世紀には大和政権と蝦夷勢力の衝突が胆沢盆地(現在の奥州市、金ケ崎町)を中心に行われ、そのもっとも大きなものである792年(延暦11)の大和政権の坂上田村麻呂と蝦夷方のアテルイの戦いは平泉近辺におけるものであった。その後、蝦夷勢力の衰退と802年(延暦21)の胆沢城(現在の奥州市)の築城とともに大和政権の支配下に入るようになった。



平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 間もなく近辺で黄金が産出されることが判明し、水運の拠点として平泉の重要性はいよいよ高まった。平安時代後期には衣川(現在の奥州市)を拠点とする地元の豪族であった安倍氏が俘囚長として奥六郡を支配し、近辺では国司よりもはるかに強力な勢力を持つに至ったが、前九年の役で源頼義・義家親子に滅ぼされた。平泉はその際に源氏に味方した清原氏の支配下に置かれたが、清原氏の内紛である後三年の役を経て勝ち残った清原清衡(藤原清衡)が前九年の役で安倍氏に味方して滅ぼされた実父の姓に復して藤原氏を名乗り、根拠地を江刺郡豊田館(現在の奥州市)から磐井郡平泉に移して居館を建設した。そして以後、清衡から藤原泰衡の4代にわたっての奥州藤原氏の本拠地として栄華を極めた。



平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 この時期の平泉の人口については諸説あり、古来より『吾妻鏡』や江戸時代の作と考えられる『平泉全盛図』(平泉古図)などをもとに、往年の平泉の人口を京都に匹敵する十数万人とする説が流布しているが、明確な数字の根拠が示された例がなく, 実際の都市規模はもっと小さかったと考えられる。例えば『吾妻鏡』によると鎌倉軍と奥州軍の総勢はそれぞれ28万4千騎、17万騎であったとされるが、『薩摩旧記雑録』収録の文治5年(1189年)旧暦8月20日の源頼朝から島津忠久への書状には鎌倉方の主力軍が総勢2万人であることが書かれており、『吾妻鏡』の数字は最低でも5倍程度の誇張があると考えられる。チャンドラーは、平安時代末の鎌倉の都市人口を10万人とし、軍隊の人口比から平泉の都市人口を5万人と推定した。一方佐貫利雄は、10箇所あった金鉱が養う人口がそれぞれ1万人であり、最盛期の平泉の人口は10万〜15万人であると主張している。



平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 藤原氏の治世のもと、平泉には有名な中尊寺や毛越寺などが建立され、さらに第3代当主・藤原秀衡は名馬や黄金を朝廷にたびたび献上して、その経緯から京都の文化を取り入れるまでに至った。また、アイヌをとおして大陸(沿海州)などとも交易をしていたことも知られている。しかし秀衡死後の1189年、源義経を匿ったことから源頼朝の追討を受け、泰衡は混乱の中で家臣に殺され、奥州藤原氏は滅亡した。
その後、平泉は奥州総奉行として赴任した葛西氏の本拠となったが、鎌倉時代の平泉は産金量の低下や御家人の領地細分化などで次第に都市としての力を失い、中世末期には奥州藤原氏によって建設された造営物の大半が失われてしまった。江戸時代前期の1689年6月29日(元禄2年旧5月13日)、平泉を訪れた松尾芭蕉は、奥州藤原氏の当時繁栄を極めた居館のあった場所が、田野となっている有様を見て、



平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

と俳句を詠み、また朽ちかけていたもののかろうじて光を残す中尊寺金色堂においては、

五月雨の 降(ふり)残してや 光堂

の句を残している(いずれも『奥の細道』所載)。
現在では、日本屈指の米の生産地となっている。



平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 世界遺産登録

平泉周辺には、奥州藤原氏四代による、都の文化の影響を受けながらも独自に発展させた仏教寺院、浄土庭園などの遺跡群が存在する。周辺の自然景観と一体となったその文化的景観は、世界でも類例のない貴重な遺産と評価され、2001年(平成13年)6月に世界遺産の暫定リストに登載された。

2008年(平成20年)7月の第32回世界遺産委員会で世界遺産登録の可否が審議され、登録延期と決定された。登録は結局見送られたものの、文化庁・岩手県では、ユネスコへの再度の申請を目指し、2011年5月に国際記念物遺跡会議が、世界遺産への登録を勧告した。

この勧告では6つの構成資産のうち柳之御所遺跡の除外が条件となっているほか、「考古学的遺跡群」を削除すべきだとしていた。2011年(平成23年)6月25日、第35回世界遺産委員会では、勧告通り柳之御所遺跡が除外される形で世界文化遺産への登録が決定した。なお、世界文化遺産は東北地方で初の登録となる。


平泉(ひらいずみ) 世界文化遺産・日本 構成要素
  • 中尊寺
  • 毛越寺
  • 観自在王院跡
  • 無量光院跡
  • 金鶏山




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